読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

+ simple balance +

シンプルなこと、雑記、etc

20代前半の頃と変わったところ、変わらないところ

思考

f:id:turntable:20160625093900j:plain

最近とみに思うのですが、20代のころよりも30歳の今の方が、子どもっぽい感性に近くなった気がしています。「子どもっぽい」というか、今まで足枷に感じていた複雑なものが削ぎ落されて随分と楽になったな、という感じです。

千と千尋の神隠し」にカオナシというキャラクターが出てきます。カオナシはそこらへんの人物を食べて肥大化しますが、最終的には食べたものを吐き出して元のカオナシに戻ります。あの、元に戻ったカオナシみたいな状態です。

 

 

CDや本の所有に拘っていた20代前半

 

20代前半まではとにかくCDを買い込んでいました。ブックオフなどの200~300円コーナーとかよく使用していましたね。現在CD自体は所持していません。ただし、PC内のitunesに入っています。外で聞くときはipodを使っていますが、現在は音楽を長時間聞くこともあまりなくなりました。

本に関しては減らしたりもしてはいますが、まだまだ手放せないものもあります。もう読まないと判断したものは人に譲るか、あるいは寄付をして手放すことに決めています。この間職場で本の寄付イベントがあったので少し持って行きました。通勤電車内で重い物を持つのは辛いのであまり持ってはいけませんでしたが。

 

ネットで検索してみても、本の寄付をできるところは多々ありますね。

・チャリボン:NPONGOの活動を支援

・BOOKS FOR JAPAN:買取るものと被災地に届けるもので仕分けし、買取金額は復興支援のための寄付となる

・ブックフォースマイル:児童養護施設の子供たちを支援

 

 

人間嫌いだと思っていた20代前半

 

まわりの人がなかなか期待通りに動いてくれない、という気持ちが強かった気がします。友達に対して腹が立つことや苛立つことがあっても、そういった本心は明かせずにいました。友達でいたかったからというよりも、利用できる人がいなくなるという保身が働いていたような気がします。そしてある程度経ったときに距離を置くことを決め、自身のアドレス変更して知らせないままフェードアウト。

 

まわりが良いように動いてくれない、悪いのはまわりだから、と思っていたんですね。それで「人間なんか信用できない」と考えていた。人間嫌いなんだ、と。今思うと、自分が身勝手だったのだなと冷静に思えます。そもそも本当に人間嫌いだったら、相手にどうしてほしいとか願ったりはしないだろうに。

 

現在は、こうしてほしいと願うことよりも、どうしたらお願いを聞いてもらえるだろうかと考えるようになりました。答えは単純なことで、自分から動けばいいのです。笑ってほしかったら、自分から笑いかける。挨拶をしてほしかったら、自分から挨拶をする。自分の話を聞いてほしかったら、相手の話を聞く。これは仕事にも応用できます。たとえば、連絡してほしいことがあったら自分からそのことについて予め伝えておく。求めるよりも自分が動くことを考えた方が楽だし、相手から動いてくれたときはとてもお得だし感謝の気持ちも強くなります。良いこと尽くめ。

 

 

お酒の飲み方がどうしようもなかった20歳頃

 

現在は周囲の人に引かれるのが怖くて語れない過去ですが、大学生の頃は焼酎ロックで一気飲みをするということをしていました。数杯続けてですね。一番最初のサークルの飲み会では、ワインやらウィスキーやらカクテルやらをちゃんぽんで飲み続け翌日は1限目の講義に出られなかったということも。当然二日酔いでです。

一言でいえば、若気の至りというものですが、今はあんな飲み方考えられません。色々とやらかしたこともあるけれど、今となってはまぁ大体いい思い出です。様々な経験を経て、自分なりの飲み方に辿り着きました。

 

最近職場の方と話していて思ったのは、まったく「酔わない」と言う意思も案外邪魔になるかなということです。宴の席で、同程度に「酔える」人となら最高に美味しいお酒が飲める気がしました。正論を振りかざす人や、真面目すぎる人は楽しい場を白けさせてしまうこともあると思うのです。要は、飲める飲めないとか酒量とか度数とか気にせずに、とにかくその場を楽しむっていう気持ちがあれば何でもいいんじゃないかということですね。

次の日に遅刻や欠席をしてしまっても、それは本人の問題や責任であって周りがどうこう言うことではない、と私自身は考えています。

 

 

頑固で拘りが強くてプライドが高かった10代後半~20代(特に前半)ですが、社会に出て考えることもあり、自分なりにやってきたなかで、どうでもいい拘りを削ぎ落せるようになってきたのかなという印象です。(たぶんまだ拘ってる部分もあるとは思うが)正義の形は人それぞれと思うようにもなりました。腹が立つ相手がいても、ある程度は仕方ないと思いますね。かっとなることはほぼありません。

今でも変わっていないのは、好きなことややりたいことがはっきりしているという点です。